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南紀すさみの9月(11年)12号台風 

台風襲来と後遺症

ボランティア活動

9月早々からというより8月末よりまだ台風接近といえぬ頃より猛烈な雨。

3日のマスターズ水泳大会・4日のスイム誌のスイム駅伝の役員と大阪行き予定も2日より列車ストップに道路の通行不能で出場不可。
尤も大阪ではそれほど酷くもなかったようでv大会は決行だったようだ。

3日の昼ごろ室戸上陸というノロノロぶりで紀伊半島ではかってない雨量を記録、各地の川でオーバーフローに決壊、その上土砂崩れと大きな爪痕を残してくれた。

普通なら台風一過秋空で快晴となろところだが、今回は翌日の4日になっても雨一向に収まりそうもない。
多いところでは2400ミリ超えたそうで、当町の近くの白浜の日置川の河畔の安居でも1400ミリ超え故、当町だってまけていまい。

ただ我が家においてはさほどの被害も見当たらず、大したこともなかろうととんだ思い違い。

すさみ海水浴場では山から流れ出したものと見える大木や木株が所狭しと大散乱。
そのはずで橋が流されたり橋脚が水流で抉られたり、件数は少なかったが冠水も。
山の方ではあちこちで土砂崩れで不通。

ところが当町の被害なんてわずかなもので。白浜町では富田川の支流が本流の増水のため支流の水が溢れ出して、広範な範囲で各地で床上浸水。

山だらけの紀伊半島の内陸部では土砂崩れで家屋の倒潰や、土石流による塞き止め湖があちこちに発生台風の被害が未だ決着せず。

日にちが経つほどに古座川・那智勝浦・熊野川流域の新宮や紀北町の災害状況が明らかになりだした。
上流の本宮でも道路が寸断され熊野本宮大社ですら一部の建物で軒下まで冠水、神様でさえ今回の台風被害から避ける術がなかったわけだから人々の被害仕方のないことかもしれぬ。
お寺だって被害被っているから神も仏もないとはこのことかもしれぬ。

東北震災に応援に行った関係か、今回の被害に対応してすぐさま各地に災害ボランティアセンターが出来てボランティア参加希望者に対応し出した。

当方も町の社会福祉協議会の要請で11日・12日と白浜町の日置川オーバーフローした地域に出かけた。
川の下流からの川沿いの道 通行不能で山からの道、こちらも道の半分土砂崩れなんてところを通ってである、ガードレールが崩落なんてところはあちこち。

作業は泥掻きではなく、土砂崩れで流れ込んだ土砂の取り除き。
1日目は小型のユンボも入らないのでスコップや鋤やツルハシでの作業。
土だけなら有難いんだが瓦礫が一杯だからスコップが使いづらい。

2日目はユンボが入ることができたので掻き出した瓦礫を1輪車で移動だが、急な下り坂での移動だけに膝に来る。
1日中1輪者というのも、同じ筋肉使うばかりゆえ疲れるものである。

いずれにしろ2日たっぷりの土方作業。
ところが以前東北のボランティアの時もそうだったが、本来これだけ体痛めつけると翌日体の節々が痛むものだが、人のために成ることをしている身に痛みなんて残るはずがないと勝手に思い込んでいると不思議とそうは成らないから面白い。

だから泣き言言ってるのを聞くと、良いことして居てそれで痛み残るなんてことは有るものかと助言することにしている。
こういうことを見ると神の存在信じる気になる

 

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[ 2011/09/15 21:44 ] 天災 | TB(0) | CM(0)

南紀すさみの6月(11年)東北大震災・被災地ボランティア2 

宮城県・亘理町

当方の住むすさみ町、田辺市、白浜町、上富田町の4市町の社会福祉協議会のボランティアバス2台(1台ボランテイア20名社協関係者3・4名)で2回目のボランティアに出かけた。

前回は和歌山県と社会福祉協議会のボランティアバス1台で関西広域連合の協定で和歌山県が支援する岩手県の大槌町に行った。

今回は4市町の支援の亘理町。
震災にあったのは亘理町でも海岸に近いところで、大槌町のように町長が死んだり役場が全損なんて事もなく役場は地震の被害のみで津波からは幸いにも無傷。

大槌町から釜石市の海岸線の被害状況は目も当てられぬ状況であったが、ボランティアに入ったのは部屋が肩口ぐらいまで水に浸かった地域であった。

今回も部屋の中が頭程度まで水に浸かった地域であったが、本当の酷いのは既に震災直後に皆で何とかして住める状態まで回復しており、部屋より外回りであった。
本当にボランティアが必要なのは震災直後と思われるが、役所の体制が整わず申し出断っていたようである。

尤もこれからだってまだまだボランティアが必要とされるのは間違いない。
終わったお宅で大いに感謝され、勇気がわいて又復旧に立ち向かえると感謝されるのだから本当のところだろう。

でも今回2日目に依頼のあった家で、震災直後の皆さんの困難を味わえることとなった。
依頼者の家は平屋で外壁もそれほど大きく壊されてもいず、ただ家の前にはに泥の山だったと思える残骸の山があるのみ。

実は後で聞いた話だが、つい最近まで家の前を塞ぐ形で流されてきた2台の車が邪魔で片付けも何も出来なかったそうだ。

横手の勝手口のドア開けてびっくり、部屋の中は散乱した家具や日常品ばかりか瓦礫や病葉が腰どころか肩近くまで散乱、なんとなく異臭も在りどこから手をつけるか一瞬と惑う。

まず家の周りの瓦礫や泥を片付けてから部屋の片付けに取り掛かる。
津波で押し寄せた水が数日間引かなかったため布団や衣類や本など殆ど良品より分けるなんて事は不可能で、写真やカバンは何とか確保しておいた。
厄介だったのは冷蔵庫、3ヶ月放置のままだったからそれでなくとも特有の異臭に悩まされる中、下手にドア開けるとどれだけ腐ったものが散乱し異臭発散するか分らぬゆえロープで縛った上で移動、所が移動中に水気のものが流れ出しただけで臭う。

今回町ごとでチーム組んでの作業でわが町がこちらのお宅の依頼引き受けてきたわけだが、午後からは他の依頼で活動していた上富田町や白浜町のチームも追加でこちらに応援で入ってくれた。

濡れた畳はたっぷり水含んで上に泥かぶって4人がかりでの移動、布団類や衣類も泥水に浸かってすべて廃棄、その上瓦礫や大量の泥で作業終了時までにやっとのことで廃棄処理のみは片付いた。
出来れば床板ひっぺ替えしてしたの泥なんてことはとてもじゃないが無理、次のボランティアさんに引き継いでやってもらうしかなし。

この家の家族が後でやってきたときの話だが、家族4人がばらばらでご主人津波の濁流に流されは成れたところの電柱に何とかしがみついたそうである。
3月11日の冷たい泥水の中で浸かっていたせいか、助かった時には黄疸症状が出ていたそうだ。
奥さんも入ってきた津波の泥水に家の中に押し込められ徐々に増える水にやっとカーテンレールにつかまって外に抜け出しこちらも冷たい中長らく使っていたため足が黄疸症状。

子供たち2人も何とか助かったそうだが、家族の安否がやっと分ったのが4日後。
全てを失ったが家族4人が助かっただけでも良しと、それでも財布発見には大喜び。
今もって皆さん小学校にて避難生活。

我々ボランティアなんてできる事は僅かなこと、国地方自治体が1丸になって復旧に取り掛かればもっと早く大きく前進できるはずで、こちらの家だって前に流れ着いた車さえ早く撤去できていれば、震災後3ヶ月もなるのにまったく手付かずなんて馬鹿げたことはなかろうと、本当に今の何も出来ない菅政権のバカどもが腹立たしいだけでなくそこを指摘しない大手マスメディアの腐敗堕落にも返す刀でバッサリである。

尤もそのお陰で、震災直後の皆さんのご苦労が理解できることとなって、自分たちの町の今後の防災対策を考える上で大きな示唆貰ったことになる。
多分今回のボランティアに参加した人たち全員に大きな衝撃を与え考える機会となったことだろう。
[ 2011/06/14 21:47 ] 天災 | TB(0) | CM(1)

南紀すさみの6月(11年)東北大震災 

お知らせ

明日10日早朝より、前回4月の岩手県大槌町に続いて宮城県の亘理町にボランティアしに行ってきます。

今回は近隣4市町の社会福祉協議会のボランティア派遣です。
往復のバス代は不要で宿泊・食事が自前。

帰るのは13日に成ります。
コメの返事帰宅後になろうかと思います、よろしくお願いします。
[ 2011/06/09 21:16 ] 天災 | TB(0) | CM(0)

南紀すさみの4月(11年)超巨大地震・東北地方太平洋沖地震・12 

災害ボランティア・和歌山派遣第1陣

岩手県・大槌町行き


8日から11日まで岩手県大槌町に和歌山県の社会福祉協議会のバス派遣が決まり、第1陣のボランティア20名が現地入りすることになった。

当初炊き出し500人分か1000人分持ち込んで友人と2人で行こうと画策したが、車の手配とガソリン補給が当時不明で、諦めてこちらに鞍替えしていくことにした。


8日の15時30分出発で、出発時点から雨で強まったり弱まったりの中運行、途中トイレ休憩15分が数回、食事の時は40分が夕食と朝食で2回、現地大槌町着が8時。
休憩含めて16時間半。
43人乗りのバスに22名、1名につきほぼ2名分の席だから、少しは楽のはずだが、手足伸ばせぬから矢張り熟睡は出来ぬ。

途中釜石から大槌にかけて、雨の中 TVで見た画面さながらの瓦礫の山に埋め尽くされた風景が延々と続いている。

津波被害1

津波被害2

このような場所ではユンボやブルドーザー等の重機でないと埒があかぬ。
でも昔の津波の被害の時は重機などないことゆえ随分大変だったで在ろうと推察。 

福祉センターの担当者が10時まで来ず2時間待ち、そこから出先の桜木地区のボランティアセンターに振られて、そこで支援先聞いていったのが10時半。
20名が4班に分かれて各指定先に散った。

津波被害3

当方が入った1班は、2m近く水で押し寄せられた家で、屋内の壁や畳はすでに片付けられており、最も豪いところが自分たちでやらざるを得なかった訳だから、もっと早くに支援が要ったことだろう。

1日目は家の建物の周りの泥掻き、雨もあって其れこそ泥だらけの仕事。
土嚢袋持参で来ていて、その点大いに仕事になった。
雨で合羽の下が汗でずぶぬれになったが、お陰で土埃も無くマスクもゴーグルもせずとも済み大いに助かったが汗がへばりついたのが玉に瑕。

それにこの日の仕事は体にも良いようで、泳ぎの代わりになるぐらい体を痛めつけた。
今回の参加者22歳から69歳、当方が最高齢と言う。
そのことも在り若い者に負けていれば矢張り高齢者では無理と後々まで 高齢者メンバーから外されかねんという思いもあり、特に頑張っておいた。
多少頑張れたのは、勿論バタフライの日ごろの練習が役立った訳だろうが、畑仕事が役立ったことも忘れてはならぬ。
当方が借りた畑、家庭菜園にはちと大きい上、石ころだらけで 石掘り出したり、耕運機なしで鋤や鍬だけで頑張っているから、日ごろから鍛錬していることになっていることだろう。

宿泊地が遠方と在って、15時過ぎに終わって、被災地から離れた花巻のホテルに移動。距離もある上、道間違えたりで着いたの19時半。
タダ助かったのは出発前日震度6強の地震で東北全県 電気や水道止っていたのが、すでに復旧していて、シャワーどころか温泉に入れた。
上から下まで汗だらけの身としてはおお助かり。
でも被災地でテント生活で被災者の苦労味わうぐらいの方がボランティアの趣旨にはあっていそうに思う。
ホテルで食事は取れず、相も変わらずコンビニのおにぎりや、インスタントラーメン、ただ被災地考えれば其れも未だましかも。

出発の前日の7日の水泳練習後の体重61.6キロ、其れからの食事量など考えれば多分63キロ程度はあろうかと思ったが、宿の秤で測定したら何と61キロ。
相当脂肪減った上、大量の汗で2キロ程度体重押さえられたらしい。

翌日は晴れ 再び花巻7時出発で大槌町の桜木地区に9時半着、この日晴れていたこともあって昨日以上に延々と続く被災状況をつぶさに確認させられることに。
又暫し待って昨日の家にボランティアに入る。
朝のうち昨日の続きと、スチール製の物置小屋4つの移動でこれが結構思い、ここまで力仕事。

後は屋内の家具類のの泥の掃除や障子の和紙剥がしなどで殆ど力不要の仕事。
只本箱の本が浸かった泥水でふやけた上、棚板と本がこびリ着いて少々では離れてくれず
大いに困った。
昨日は体痛めつけたが本日はそれほどでもなく、タダ出たごみを、ゴミの集積場に持って行く時に多少力使った程度。
昨日と代わって晴れたこともあって、流石にゴミの集積場は特有の異様な臭いがしていたが、作業環境はそんなことも無かった。

津波被害5

でもこうしてボランティアが入っている家は、まだまだ少しで今後相当な数のボランティアが今後必要とされるだろう。

津波被害4

前日泊まったホテルが、帰途に風呂入りに寄って良いと言ってくれ、流石に皆さん喜んでいた。
このとき測った体重62.5キロと、この時点で昨日より1.5キロも増加。
ボランティアに備えて、炭水化物ばかり食事でとっていた上、余り汗かくような仕事をしなかった為の様である。

16時近くに大槌町出発して、釜石の港の横をバスが通ってくれ津波の破壊振りを目の当たりにすることとなった。
大きな防波堤がひっくり返されて腹を見せていたり、横向いていたりと津波のエネルギーの凄さを思い知った。

津波被害6

津波被害7

南紀の地の台風の高波対策用の防波堤なぞひとたまりも無い、災害対策としては大いに参考になる見聞であった、百聞一見にしかずである。

行きの反対をひたすら走って北陸道周りで、和歌山着が翌朝の9時半。

帰着の翌日(12日)串本のプールに練習に行ったが、練習前に体組成計測って驚いた。
なんと65.4キロ、1日目が61キロ、2日目が62.5キロ、そこから帰途に食った分の蓄積と翌日の食事がそれだけ効いたのか、それともホテルの体重計が少し狂っていたのか、今と成っては調べようもない。。

いずれにせよ、少し気を許して炭水化物とってしまうと長らく掛かって落としてきた体重がアッと言う間に戻してしまうと言うことである。




[ 2011/04/17 21:43 ] 天災 | TB(0) | CM(0)

南紀すさみの4月(11年),超巨大地震・東北地方太平洋沖地震・11 

和歌山県・震災ボランテイアで岩手・大槌町より帰着

前回アップ分ですさみ町が如何に津波に弱いかご理解いただけたと思う。
町の中心部が軒並み3m程度であるから5m程度の津波で壊滅的被害こうむることになる。

そのようなわけで津波対策を考えることが町として急務である。
だから震災以後、当町の名物料理を500人前でも1000人前でも持って被災地で炊き出しに行こうと計画したが、諸般に事情で中断していた。

そこへ和歌山県・県社会福祉協会がバスをだし、ボランティア20名を岩手県大槌町に派遣と言う募集にであった。

早速応募して8日初の第一陣の潜り込んだ。
こちらは現地での宿泊費・食費が自前ではあるが、行き帰りのバス代は無料である。
500食・1000食の炊き出しでは随分持ち出しが多く負担が大変であったが、こちらは一桁費用が助かる。

「頭使える者は頭使い、金使える者金使い、頭もカネも使えぬもの体を使う」の言葉通りのボランティアで、これだって立派なボランティアである。

兎に角8日に和歌山発って9・10日と大槌町の桜木地区でボランティア活動して本日昼過ぎにすさみに無事帰着。

現地での見聞やボランティア活動通しての体験を生かして当町の防災対策の提言をまとめるのに良い経験であったと考えている。

いわて大槌町行きはオイオイ書きたいと思うが、とりあえず帰着の報告まで。




[ 2011/04/11 21:58 ] 天災 | TB(0) | CM(0)









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